静岡の日本茶、トクホ・健康茶の通販 佐藤園

お茶コラム

お茶と人との接点

お茶を最初に口にしたのは誰でしょう?
今から5000年前、中国の伝説に登場する神農帝は、人々が食べられる植物を調べるために、自ら山に入り野草を食し、1日に72もの毒にあたり、そのたびに茶の葉を噛んで解毒したと伝えられています。もともとは、デトックスの薬草としてお茶が利用されていました。

3_2_rekishi
煎茶文化はいつから? 使用:芯蒸し茶 安倍の緑

では、日本で最初にお茶を飲んだのはいつからでしょう?記録として、もっとも古いものは平安初期のもの。近江の梵釈寺で永忠というお坊さんが嵯峨天皇に茶を煎じて献上したと記されています。当初の喫茶はおしゃれな(!)飲み物として一部の貴族や上流階級の間で行われていたそうです。その後、平安末期になって僧侶たちが、健康飲料としても好ましく、精神衛生上にも有益であるという利点を見つけて注目されました。1211年には、お茶が体にいいという内容の日本最初の茶の専門書「喫茶養生記」が発表されました。

一大ムーブメント「THE闘茶」

鎌倉時代末期から室町時代にかけて、貴族や武士層にお茶が広まります。やがて遊びの要素が強くなり、お茶の産地を当てて競う「闘茶(とうちゃ)」が流行しました。家一軒を賭けるなど賭博の一種にまでなってしまい、足利尊氏により「闘茶禁止令」が出たほどでした。
使い方の良し悪しは別として、お茶が「集団で楽しむ」ものへと変化していったのですね。

茶の湯政道

茶道の租、村田珠光は禅の思想を取り入れ「侘び、さび」を精神的な基本としました。武野紹鴎を経て千利休へ。茶の湯政道と呼ばれ、織田信長や豊臣秀吉は普通の家臣には茶の湯を許さず、茶の湯を許されることは一種のステイタスシンボルになり、高価な茶道具を競い合うほどでした。

煎茶文化はいつから?

はじめは、塀茶(へいちゃ)と呼ばれるものを削って煎じて飲むスタイル。鎌倉時代には、抹茶法と呼ばれる乾燥した茶葉を石臼で挽いて湯に溶かすスタイル。各地で番茶と呼ばれるお茶も作られていたようですが、お茶の色は赤茶けたものでした。江戸時代に、宇治の永谷宗円が蒸し製煎茶の技法を発明します。今までのお茶とまったく異なる美しい緑色と香りのよいお茶は絶賛されました。

1735年に売茶翁という人物が、京都の郊外で蒸し製煎茶を売り歩きます。「お茶の代金は2千両(約5000円)から1文の半分(約5円)まで。ただでも構わないが、ただ以下にはまけません」という、なんと投げ銭スタイルで販売。身分の違いを問わず、誰もがおいしいお茶を飲めるようにしました。この自由なスタイルが評判になり、煎茶ブームが起こりました。

こうしてだんだんと庶民にまで普及していき、昭和にかけては家族団らんの場は「お茶の間」と呼ばれたほど万人に愛飲されていきます

 

お茶の役割は時代に合わせて

お茶はお茶のままなのに、時代が変わるとお茶の役割が変化していることがわかります。薬草であったり、ステイタスシンボルだったり、人々が熱狂するゲーム性を帯びたものであったり、一家団らんの象徴であったり…。お茶は人々にそっと寄り添い続けてきました。
さて、次の時代のお茶の役割はいかに?

profile_nagae
ライタープロフィール
市川雅恵さん / 日本茶インストラクター(認定番号07-1773)

「日本茶を難しくしない」をモットーに初心者の方にもわかりやすく、基礎知識から日本茶の楽しみ方までさまざまな情報をご紹介します。

新着記事


おすすめ記事

コラムをもっと読む